日本行事植物

 

正月(一月)睦月

 「明けましておめでとうございます」

 現在は新暦一月一日の朝にご挨拶いたします。

おめでとう、おめでたいは「芽出たい」とも書き、年が明けて新しい芽が出ることを喜び祝す言葉です。旧暦では冬が終り春の命が芽吹く「新春」二月四日頃が正月で、そちらの気候のほうがこの言葉にふさわしいのですが・・・

 

 元旦には年神さまが各家庭にお越しくださいます。

私たちは鏡餅をお供えし、その土地、その家庭の心ばかりのごちそうを準備してお迎えします。

 では何故お供えとは鏡餅なのでしょう。

 餅は稲の霊が宿り、人間に生命を与えてくれるもので、また鏡は神さまが宿るところを象徴しています。だからお年玉ももともとは年神さまの魂が宿ったお餅を「年魂」としていただいたものです。

 その鏡餅でお雑煮を作って神さまと家族が一緒に食し、昨年の実りと平穏に感謝し、新しい年の豊かな実りと家内の健康と安心を願います。

 植物として、松、千両、柳 などです。 

                                               (文;村島)

端午の節句

 風かおる五月の青空に泳ぐ鯉のぼり。その由来をひもとくとき、親が子を慈しむ心のさまざまな形が千年の時を超えて、今日まで伝わっている事を実感します。

 さて、端午の節句に欠かせないのが「香菖蒲(かおりしょうぶ)」です。香りが強く、その香りで邪気を祓うと考えられていました。また、「尚武」と書けば「武を尚(たっと)ぶ」に通じ、強い男の子になるようにという願いがこめられるからです。

 

  「菖蒲」が手に入らない時はゼラニウムで。

  ゼラニウムというと日本のしつらいにふさわしくないような気がしますが、別称の「紋天竺葵(もんてんじくあおい)」と呼ぶと印象が変わるから不思議です。

 ゼラニウムはどんな日照りが続いても根が枯れないくらい生命が強いので、強い子になってほしいとの子孫繁栄の願いを託します。  (文;M)  

(写真;16 5/13 花壇)

水無月(みなづき)

陰暦六月のことを水無月と呼びます。歳時記では七月に入っていますが、水無月という言葉からは、やはり六月の響きが爽やかに感じられます。この月は田植えに水が多く必要なので水の無くなる月と言ったらしい。

昔、水無月の晦日(みそか)に罪や穢れを除き去るため、宮中や諸社で祓い(はらい)の行事が行われ、それを夏越の禊(みそぎ)と言いました。そのため陰暦六月を夏越の月という言い方もあります。庶民も川や海で身を清めたり、牛馬を水辺で遊ばせたりしました。また、この日は神社で茅の輪(ちのわ)をつくり、人々はそれをくぐると病気や災難を免れると信じていたようです。

植物としては早苗(さなえ)ですが、この近くで見ることがむつかしくなりました。

                                               (文;村島)

昨今では御田植祭などでしか見かけなくなった早乙女姿    田に植えられた早苗

文月(七夕)七月

 

(由来)

 天皇の娘の織女と牛飼の牽牛の夫婦はあまりに仲がよく仕事をしなくなったので、天の川の対岸に別居させられ、七月七日の夜だけ逢うことを許されたという「七夕(しちせき)」物語が中国の伝説にあり、我が国に伝わっていた棚機女(たなばたつめ)の信仰と、中国に伝わる星伝説(牽牛と織女)乞巧奠(きっこうてん)(裁縫や書道の上達を祈る女性の祭)が集合したと云われています。

 また旧暦の七夕は夏の収穫期にあたり豊穣に感謝するとされています。

 

(行事)

 この行事に使う植物は桔梗を活けます。桔梗は昔は朝顔と呼ばれていました。そして、中国では朝顔を「牽牛花(けんぎゅうか)」と呼んだので、桔梗で牽牛を表します。つけ加えれば男性のトイレは朝顔型になっております。

 尚、織女のシンボルである糸枠のそばに活ければ、とても七夕の行事にふさわしいと思います。

   七夕飾りと桔梗(小田急改札前)           ゆうゆう橋、植枡の桔梗

                                               (文;村島)

重陽(ちょうよう)長月(ながつき;九月)

 中国の陰陽説では奇数を陽の数、偶数を陰の数と考えます。すると九が最大の陽数となり、それが重なる九月九日で「重陽」で、陽の極まるとてもおめでたい日となります。

 旧暦の九月九日はいまの十月半ばで、秋たけなわ。菊の花が野山をいろどる時期にあたります。

 菊が不老長寿の薬として栽培されていた中国では、この日に丘や山に登り、菊の香りを移した菊酒を飲んで長命を願う風習がありました。

 この風習と菊の花が日本に伝わり、平安時代には宮中の行事となり、天皇や貴族が紫宸殿(ししんでん)に集まり詩を詠んだり、菊を愛でたり、菊酒を飲んだりして長寿を願いました。

                  (写真;菊)

  清少納言は「枕草子」に次のように書いています。

   

   - 九月九日は暁より雨すこし降りて、菊の露もこちたく

        おほしたる綿なども、いたく濡れ、

           うつくしの香ももてはやされたる。 -

 

  これは菊の着綿(きせわた)といって、重陽の節句の前夜にまだつぼみの菊の花に真綿をかぶせて菊の香と夜露をしみこませ、宮中の女官たちがそれで体を清める習慣を詠んだものです。

 江戸時代になると幕府の式目「五節供」の一つに定められ、現代の敬老の日につながっている様です。

                                               (文;村島)

月見(十月)神無月

 まだ日本人が芋を主食にしていた時代、旧暦八月の満月の夜に里芋の収穫を祝う祭りをしていました。これに観月の趣向が加わったのが八月十五夜の「お月見」「中秋の名月」です。また、旧暦九月十三日の「十三夜」の月を愛でる風習が加わり、十五夜と十三夜、ふたつの月を観るのが「月見」、一方しか見ないのは「片身月」といって不吉なこととされました。

  かっては旧暦の行事を、私たちは新暦の日付でおこない、それほど大きな支障なく過ごしております。ところがどうしても都合の悪いのがお月見です。月の満ち欠けが基本の旧暦では、十五日は必ず満月になります。ところが新暦の八月十五日になると満月でも「中秋の名月」でもなくなるのです。そこで現在は秋たけなわの十月の満月を観るようになりました。

  十五夜は十五にちなみ、一寸五合の大きさの団子を十五と、芋類や秋の収穫物、秋の七草などを供しています。ちなみに月から見て左側に作物、右側に団子を配します。植物はススキです。

                                               (文;村島)

冬至(十二月)師走

 北半球で日照時間が一番短くなる冬至は新暦で十二月二十二日頃ですが、旧暦では十一月に来ます。日に日に日照時間が短くなることに遠い昔の人は恐れを抱き、ある時から日照時間が回復して来ることを実感してどんなに喜んだことでしょう。

万物に生命を与える太陽の力が一番弱まる日は、逆にいえばこれからしだいに力がよみがえる一陽来福(いちようらいふく)の日です。冬至は太陽が戻ってくる日として世界中で祝われたそうです。

 日本では南方から来た栄養価の高いかぼちゃ(南瓜)を食して寒い冬をのりきり、小豆の入った「冬至粥」で厄をよけます。また、柚子湯につかり身をかため陽の気が満ちて来ることを祈ります。

 影の長さでわかる冬至は、目に見える一年の節目ですから、太陽と月(太陰)の動きで太陰太陽暦(旧暦)では暦の計算の起点となりました。そのために十二支を十二ヶ月に割りふるときには十一月が「子(ね)」の月となります。

 植物としては、かぼちゃや柚子などが使われます。

                                               (文;村島)

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